と、書いておこう。実力は未知数だが。
先日土曜日に、神戸学院大学の劇団エキスクラメーションの藤原大地君が参加してくれたことは、既報の通り。そしてその時彼から、「もう一人是非参加したいのがいるのですが」と聞いていたのだが、その一人、中橋裕杜くん(すでにこのHPのキャストに写真付きで反映している)、昨日稽古場に来てくれた。
なんとも細く背が高く、見る限り、高校生と思える程、初々しい。すでに役者の雰囲気を持っている。聞けば大阪から明石の大学まで通っていると。早速代役をやってもらった。関西弁が少しでる、そりゃ仕方ないが、「感」がいいとみた。
実は彼のために、演出家はセリフも出番も存在も大きく増量する予定だという。その場面、今からどんなシーンになるか楽しみである。
やっと、これでチラシも印刷にかかれる。
昨日の稽古は一幕一場、通しで立ち稽古、ほとんどの人は半分セリフが入った状態で、原君、那須クン、も来てスタート、なんか雰囲気がでてきた、やはり本役、いろいろ考えて来ている。
とくに森本君なんて、もうセリフが…あまり入ってなかったなあ。
休むのは結構だが、その分、家でセリフ覚えてくること、周りに迷惑がかかる。同じところばかりやれない。まして穴が開いたところばかり何度もできない、代役でやったところは自分から進んで代役に稽古の内容を聞いておくことをオススメする。
もう、それぞれが役作りに入り、考えてきたことを演出の指示でさらに味付けをしていく作業に入ってるんだから、一から出汁とることなんてできない。
目指しているところはもっと大きなもの。それに読み込んでこないと、演出の意図がわからず、指示されて?なんて人もいる。
何度も言っておくが、演出は元来一貫性なんてもってないんだ。
またそんな役割をやっていない。いまだに「演出が前にこういうた、ああいうた」なんて鬼の首とったような言い方する役者がいるが、あんたが未熟なんだ、その場で生きた動物を扱ってる演出、その日の動物の動きや感情を訂正したり、逆に活かしたりする、だから真反対なんてこと当り前なんだ。一たす一のような稽古、何がおもしろい?何が生まれる?本人が決まりきったようなことばかりするから、演出は感情的になって怒るんだ。その動きに「発見」と「納得」がないんだ、だから演出が…。
どこかの演出が灰皿投げたとか、帰ってしまったなんて話があるが、演出なんて怒るのが仕事なんだ、言うこと聞かない動物を調教するようなもんだから、しばいたりけったりするもんなんだ。
まあ、やれ、ハラスメントだなんだって、世間がうるさいから気を付けてるが、亡くなってるから時効かもしれんが、そんな演出は結構いたもんだ。
怖い上司しか記憶にない、優しい上司なんて毒にもならん、ってよくサラリーマン時代に言われた教えだった。今でも至言だと、私は思うが。怖い上司の一言一言が血肉になってる気がする、私は。
それがいやなら芝居なんてやめるんだねとも言われたよ。覚悟がいるということや、よくいうじゃない、「親の死に目にも会えないよ」と。公演始まると穴あけられないもんなあ。
まあ、稽古でもそうだけどね。
いよいよ、真剣にやろう、いろいろ試そう、そして考え尽くそう、表現、なんだ、表現は決まったものはない、やる人の数だけある。
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