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終演後、10日過ぎて…いまだ余韻というか

今週末(6月16日土曜日)、中山住職のご理解のもと、立正寺で昼から「Dear My Papaの打ち上げ」がある。おそらくそこで役者さんやスタッフのみなさんから芝居の評価や意見が飛び交うことだろう。

私も制作として参加するがその場ではある理由で発言できないので、ここで総括しておきたい。

このひとつ前のブログで順平さんが、友人から来たメールを紹介されていた。ご自身の意見も交えて。

おそらく順平さんはかって経験したことがないぐらいのパニックに陥ったことだろう。

あの625にもなるセリフの数、一瞬(3回だけ、それも1分ぐらいの引っ込み)下手にはけるが、その後またでてほぼ出ずっぱり、その舞台での緊張感は並大抵の緊張感の連続だったころだろう。

しかし、舞台での主演を演じるということはそのぐらいの覚悟は当たり前で、今後の順平さんのことを思えば一つの試練、それを超えたことは望ましいことだと、昔のビジネスの師匠である順平さんに思う。

実は昨日、久しぶりに(10日ぶり)順平さんと飲んだ、その時「来た客のみんながな、『よくあの膨大なセリフの数、覚えたなあ、感心するわ、汗の量も半端ないし、それにずっと出ずっぱりやん、よく間違えんと出てきたり引っ込んだり、あれって、だれかマネージャーみたいな人が袖でついて指示してくれるん?それにしてもセリフもほぼ完璧だったなあ、あれやったら得意のアドリブ言われへんやろ?まあ、すごいわなあ』というんやけど、聞くたびに情けない思いするねん、みんなその年でよく覚えた、汗がすごい、体力があった、感心した、小泉首相の貴乃花の激励みたいな言葉ばかりで『芝居、うまい、演技抜群であのシーンなんか感動した、泣けた、笑った、なんかあれこそ芸やなあ』なんて誰も言ってくれへんのや、ほとほとなさけないわ」と嘆いて落ち込んでいた。

まあ、そんなもんちゃう?客は芸観に来てるよりも、出てるのを観に来てる、要はまだ鑑賞するまえの知り合いがでてまあ演劇をやってる、どきどきしながら観てる、その体験を得たくて来てる、来たでえと挨拶代わりに観にきてる、そんな公演が劇団ぷらっとの公演と客との関係だと思う、今はまだ、残念やけど。いうならばこれをもう一つ高めて、創造の世界、いわゆる芸術の世界に上げることをしないと、その期待する意見はでないのではないだろうか。私はそう思う。だからまだまだ「素人」のレベルを超えていないと思う、ただ、大いに期待できるレベルまでは来ているとは思うがね。

今回のことを制作の僕なりに総括すると

①作品選択は成功、世界のレイクーニーに挑戦、素人とはいえあるレベルまではいけた。

 来年、プロの劇団がこれをもって神戸で再演する、比較してみたいもの。そういえば西宮の劇団ふぉるむが7月に「ら抜きの殺意」を上演する。我々が第2回で上演した作品、是非観て勉強したい。

②密度の濃い作品に仕上げるには、もっと役者同士の密な接点をもつ必要がある。演出の指示はあくまで流れと高低のシーンを作ってくれるもの、同時にそれに乗って役者がどう考え動き、周りが受けてどう反応するか、それもある種の論理性をもって…という仕儀を繰り返しやらないといけないと思った。それにこそ芸が生まれるとも。

③役者はセリフを覚える、段取りをこなす、去る、自分のシーンはそれで終わる、のではなく有名なサッカー監督の話のように、うまくなる選手は一目でわかる、ボールが来ていないときにどう動いているか、想像力の問題で次を想定してどう動けるか、役者も同じ、休まない、しかし自然体でいかに動けるか、それがリアリティ、自分のところだけ必死で…では芝居にならない。

④順平さんが先日終えて最後に言っていた。最後の最後のシーン、ヒューバートとジェーンが二人手をつないで去る、そのとき自然と追いかけてしまう、そこでバタンというドアの閉まる音、踏み出そうとした足が止まる、そのとき体重が前かがみになる、それを呼吸とともに止め、息を吐きながら体重を次の行動に移す、それもゆっくり、これで諦めを表現、そして回転して次へ、そのとき、中央に座っている(これは演出の絶妙な指示だった、中央に座る妻の存在が)妻の視線を横顔で気づく、そして躊躇しながら下手へ、そこで妻のセリフ、「牧師さん…」…順平さんは公演5回目ぐらいでやっと思い通りにできたと頬赤らめて語ってくれた。よほどうれしかったのだろう。子供のように「できたあ」と楽屋へ続く廊下で泪目で言ってくれた。僕はその方に感動していた。いうならばそういうことの積み重ねが舞台、生の舞台なんだと思う。

⑤航くん…芝居が好きで好きでの青年、うまくなるだろうなあ。基本、芸術は絵画でも音楽でも「表現」を表す芸術、作る者がある種、憑依(キツネつき)な状態になること、それが当然で必然だとおもう。ある別の世界にいくわけだし、現実から遊離して当然、その点この航くん、20歳、集中力と記憶力、論理性、どれも優れている。素晴らしい、いつかこの青年の主役の舞台を心底みたいと思う。大学留年ほぼ確定なんて言ってたが、隣に先輩、順平さんなんか7年言ったらしいよ。大丈夫、自分さえしっかり持ってれば生きていける、人生は波乱ならばこそ面白い。

⑥福島さん、三宅さん、劇団を作ったうちの二人だけど、実にどんな役やっても存在感を主張する役者になってきてる。福島さん、今回もなんとお客さん200人ぐらい来ていると言っていた。かっては無理頼んで来てもらっていた客がいまや年1回の舞台公演へのファンとして来ているようだ。これは地方劇団にこんな存在の役者はいないだろう。三宅さん、稽古観にいってあるとき、びっくりした。あの婦長とヒューバートとのシーン、思わず吹き出してしまった。本番でも客が大いに沸いたシーン、あるひらめきがあったんだろう、役から逆算してあの演技を追加、併せて役を演じることの楽しさを知った、禁断の楽しさを知った、なんか怖い存在になりそうな気配がする。

なにせ、この劇団、制作していて年寄ばっかりなのに、みんなおもしろいんだ、たまらんわあ。

⑦小森演出…元々演出が育った前の前の劇団でも希望だったんだろう。そこには先輩3人の演出家、それも流儀も違う演出をみて育ち、自分なりの演出を常に想像し、常に立ち位置を定め役者をやり演出をやり、そして今その場を真剣に取り組む、周りと少々軋轢があっても覚悟の上、時に不遜に見えて強引に見えて、間違っていても押し通す、一番台本を読み、役者を生かす、役者が浅い発想で言ってきても歯牙にもかけない、益々演出家然としてきた。順平さんも言ってたが、我が劇団の誇るべき演出家、遅咲きの演出家ですよ、今一番輝いてる演出家ではいかなあと。芝居をよく知っている。小森さんの力量にゆだねることはこの劇団の方向性にあってる。なぜなら、年を経るごとに客、劇団ファンが増えていることで証明できる。

⑧そして最後に「期待」…第6回の舞台(2019年5月23日~26日)がすでに楽しみになっている、アンケートにも「来年が怖いです」「来年のいま、この場にいて…を想像するとわくわくします」なんてメッセージがいっぱい書かれていた。もちろん、森本さん、前田さん、元木さん、春川君、那須さん、中山さん、安達さん、誰ひとりも欠けると成立できなかった今回の舞台、アンサンブルが抜群であった、それ以上にはないぐらいおもしろい、期待を期待以上で返した素晴らしい舞台だったとこころから思う。制作をしていて、最後のデーヴィットのセリフ、あの情けない泣きそうな「ローズマリー~」で、一瞬の間があったあと、客席からどっと嘲笑が沸いたとき、私は裏でひそかに一人でやったガッツポーズは誰にも見られていない。

以上、これが、第5回の総括である。(擱筆 乾)

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