経験のある人は多いだろうが、子どもがひとりで遊んでいるシーンをこっそり蔭から見ていると、脈絡がない歌をうたっても、人形さんと遊んでお母さん役をしているのを見ていても飽きない。その仕草や表情がなんとも人をひきつけるものをもっている。
しかし理屈では説明できない。子どもは「ためにする」ことをしないから、安心して見えるのかもしれない。
大人の演技は、怒ったり笑ったりも首から上だけの決まりごとのような表現を、さながら演技と称して平気でやる。その嘘っぽさが子どものひとり遊びにも及ばない気がする。
上手いと言われる役者に共通するのが、この「稚気」のような気がする。
西田敏行は?渥美清?森繁久弥?女優でいえばあの泉ピン子、市原悦子、樹木希林・・・みんなかなり子どもっぽい。素みたいにできる。演技をしてる?素なの、これっ?って思わせられる。
さらに、普段でも人をひきつける話術を持っている。今、劇団で樹木希林さんの本、みんなで回し読みしている。ふんだんに稚気だらけである。
以前に西田敏行と武田鉄矢がテレビのトーク番組をもっていた。始まって数分ですでに視聴者はもう二人のワールドに引き込まれてしまう。それも台本はあってないごとくと聞いたことがある。プロの役者や作家がその話術に聞きほれたとも聞く。舞台で映える役者、客を引き込める役者は、台本をベースにしても頭の中に自分ながらの台本をもっているのだろうと推測する。話術は演劇を構成するひとつの大きな武器、それを縦横無人に使い分けできる術をもった役者が、なんかうまいと言われてるような気がする。
与えられた役を創造という世界で創り、論理的に説明でき、そして感覚的に演じられる役者、わかりやすくいえば「いるいる、こんなひと」を感じさせてくれる人。さらに上手い役者と言われる人には「こんな人がいてもいい、いやっ、いるかもしれない」と客に思わせる、想像させる役者、かと思う。
今回の我が劇団ぷらっとにある新人女優、今回?0歳ぐらいで初舞台の女優がいる。少ないセリフの中に「キャーッ!」というセリフがある。このセリフが実はこの芝居の分水嶺なんである。芝居の出来不出来の分水嶺、分かれ目になるほどの大事なセリフ、さあ、うまく4か月で想像性ある「キャーッ!」と言えるかどうか、うふふふふふふ…たのしみである(J)